議論について
2019年11月11日
議論とは様々な意見を論じ合う事。意見を複数で論じ合うことなんだと思う。
国会に於いての議論とはすぐに「戦い」をイメージされやすいのかなと思っています。
常に戦闘状態の生活なのかもしれないし、攻撃的ともいえるのかもしれない。先入観でがんじがらめかもしれない。いずれにせよそういうことではないのだと思います。
おばあさんが子供の時には「右向け右」「左向け左」「なおれ!」「やすめ!」のような指示で体育をやっていたそうです。私が小さい時にもまだあったはず。今の時代に聞くだろうか?全く見たことがないです。準備運動はイチニッ、イチニッと楽しそう。バタ足バチャバチャ(*´ω`*)
日本のやり方は根強く残り...でも変えるべき、変わるべきは変えようと思うのが時代の流れかもしれません。おそらくどこかやりきれない思いもあるのかな。
「変えたい」「変えてやる!」ということではないと思います。議論が活発になることがまず第一歩でそれは「戦い」ではないということ。イメージで何かを作り上げて、あたかもそれが本当の姿だとするような風潮があるとするならば怖い。良いイメージを作って落として解消する戦略的なやり方があるとすれば古くて脆い、そこに見えるのは敗北フラグだと思う。あたかもそうであるかのように自己保身で精一杯の限界値を見るとただ悔しいからやっただけという雰囲気が見えてきます。
わざと怒るように仕向けるのも戦略。そうでもしないと見てもらえない。
炎上商法と呼ばれるもの。
悔し紛れの言い訳で本当はそういう戦略はないのかもしれない。
様々な分野において、活発な議論がなされることを私も望んでいます。結論はまだまだずっとその先の話でまだそこまで至ってはいないのではないかという意味合いの「活発な議論」だと思っています。